本年度においては、弥生時代の中でも中期に相当する資料を調査することにより、骨病変(この場合はクリブラ・オルビタリア)の出現頻度からその社会・生活様相を探る研究を推進している。 弥生時代中期においては、大陸からの稲作技術の伝播によって、その食性が大きく変容したと考えられてきた。これまでクリブラ・オルビタリアなどの一連の所見は、農耕開始に伴う食性の変化によってその出現頻度が高くなるとされてきた。しかし、狩猟採集から農耕への劇的な変化を、ここではみてとることはできていない。 狩猟採集民として定義づけれているものの縄文集団の食性は、澱粉質に偏り、虫歯の出現頻度も高い集団が多く、弥生時代前期に相当する資料の場合は変化がみてとれないこと(「基盤研究(C)日本考古学における古病理学的研究の定着と進展」における研究成果からも確認)については指摘済みであるが、中期においてもコメの積極的な摂取を裏付ける痕跡は骨病変から明らかにすることはできてない。コメの積極的な摂取を考えにくいことについては、骨の同位体分析や考古学的所見などからも指摘されており、今回の研究結果もこうした先学の研究同様、弥生時代のおけるコメの収穫量の低さおよび摂取量の低さを裏付けるものの一つと考える。 また、こうした中でも、骨病変として提示される様相は集団によってまちまちである。さらに、低顔(たてに短い)の個体より高顔(たての長い)の個体にクリブラ・オルビタリアの所見が観察されることが多く、今後、形態と遺伝的な様相との考察まで深めていくことを考えている。
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