近畿地方の水田稲作普及の実態を把握するために、まず、土器編年を刷新する必要があるため、縄文時代晩期から弥生時代前期にかけての遺跡を集成し、一部地図に落とした。 (1) 当初の計画では、京都盆地の遺跡集成を行う予定であったが、これが予定より早く進んだため、大阪湾沿岸、阪神間、和歌山県の3地域においても同時に併行して遺跡集成を行った。その結果、京都盆地では全体の9割程度、大阪湾沿岸では全体の7割程度、阪神間では全体の8割程度、和歌山県では全体の6割程度の遺跡集成ができた。遺跡集成では、報告書から位置、周囲の地形、出土遺構、出土遺物のデータを抽出した。 (2) 土器編年については、新たな土器編年案を検討したが、公表するにはいたっていない。研究協力者宮地聡一郎との議論も進んでいない。 (3) 遺跡分布の地図については、旧地形を反映した土地条件図(2万5千分の1)に一部の遺跡の位置を落とした(阪神間)。ただし、時期ごとの分布の変化は追えていない。 (4) 北部九州については、晩期の遺跡集成と分布図作成を研究協力者宮地聡一郎が進めているが、所属が九州国立博物館から福岡県教育委員会に異動したことが影響し、矢野との協議が進んでいない。 以上、当初の予定より集成がかなり進んだが、その分、各地域の分析が遅れている。
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