本研究の目的は、縄文時代晩期から弥生時代前期にかけて、水田稲作がどのように普及したかについて、遺跡立地の推移を広域的、微地形的に検討し、石器組成の変化と併せて検討することにより、漸移的、段階的普及の実態を北部九州、近畿地方の比較を通じて、明らかにする。近畿地方の既存の土器編年には問題があるため、正統的な編年手法に基づき、一系的な編年に改編し、新たな編年に沿って分析する、というものである。平成23年度の成果は、次のとおりである。 (1)近畿地方の縄文晩期の遺跡集成については、京都盆地、阪神間(神戸市域含む)、大阪平野、奈良盆地、和歌山県、においてほぼ終了した。弥生前期の遺跡について、補足を要する部分がある。 (2)近畿地方の遺跡の立地を地図に記入していく作業については、2万5千分の1の地形図(一部については同縮尺の土地条件図)に遺跡範囲を落としていく作業を進めており、現在、京都盆地、阪神間に関してほぼ終了した。 (3)既存の土器編年の検討には、各地域の比較検討を必要とする、と判断しているが、京都盆地については、新たな土器編年を構築した。 (4)北部九州地方については、研究協力者の宮地聡一郎(福岡県教育委員会)が研究成果を発表する予定である。 (5)石器組成の変化については、報告書の複写はほぼ終了したが、十分に検討できていない また、特筆すべき成果として、平成24年3月17・18日に立命館大学衣笠キャンパスで、矢野が国際シンポジウム「農耕の起源」を主宰し、矢野も「西日本における水稲耕作導入にいたる過程」と題して研究発表を行った。また、平成23年8・9月に矢野が発掘調査を行った滋賀県米原市杉沢遺跡において、縄文晩期の貯蔵穴を検出し、土壌の水洗選別から回収した炭化種実の同定作業を進めている。
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