研究概要 |
基本資料とした旧土地台帳(石垣市・竹富町所載),琉球政府公文書類(沖縄県公文書館所載)・一筆地調査図(沖縄県庁所載)を驅使し,これまで等閑に伏されてきた計画移民村(以下,単に移民村と称す)の集落としての空間構造を2時期にわたって,一筆地ごとの地目・所有者名称を併記しながら,まとめあげた。1つは,入植から滿10年後に実施された「有償払下開墾地」の旧土地台帳への私有地登記の時期(1950年代末から1970年代初めに及ぶ)のものであり,殘る1つは,沖縄県内各地になお残り続けている「土地所有関係の曖味さ」を糺す意図から実施されてきた一筆地調査事業を終之た時期のものである(耕地整理事業対象地区が除外されているなど,若干の問題点もあるが,時期的にはほぼ1980年代終半から1990年代半ばにかけて実施されている)。両者の比較によって,各移民村の構成世帯の様相だけでなく,コミュニティーそのものの性格を推し量る手掛りが見えてきている。つまり,私有化した開墾地を自らの意思で利活用し,農業に専念する新たなコミュニティーの実像が窺えてくる。たとえば,それまでの開墾優先,自給自足をむねとした規律遵守のコミュニティーから解き放され,それぞれの世帯が内に秘め留めてきた「供給を受け,消費する」という人間存在の基礎的機能ともいうべきものの充足の場が,各集落の空間構造の構成要素として加えられるようになってきたのは,その好例の一つである。これらを含めた集落の変容,さらに存廃を,外生的には沖縄地域内外における政治・経済・社会ほかの情勢変化から,内生的には移民村個々のコミュニティーの構成ならびに性格の変化から,それぞれ説明せんとしている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
これまでの調査で,大半の計画移民村の開墾地の空間的範域とそれらの一筆地ごとの所有者ほかを詳らかにしたが,そこから明らかとなったコミュニティー構成ほかは,入植10年後に開墾地を私有地として買い取った定着した入植世帯によるもので,入植当初からこの間までのコミュニティーの構成内容を必ずしも適確に表示していない村々も確認されている。
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今後の研究の推進方策 |
入植直後から10年間は,開墾地の使用権は当該開拓団が保持し,実質的には入植世帯個々に分配され,独占的な使用が認めされてきた。このため互助と効率を求めて,入植と同時に結成された主として出自地を同じくする"班"と称する隣保集団は,集落的規模のコミュニティー形成とその維持に大きな影響を及ぼしてきたといわれている。この機能をつぶさに調べ出して行くことが開墾地払下後に農業集落として再編されたコミュニティーを理解して行くうえで,研究推進上も不可欠である。
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