研究課題/領域番号 |
22520799
|
研究機関 | 熊本大学 |
研究代表者 |
山口 守人 熊本大学, 文学部, 名誉教授 (30015581)
|
研究期間 (年度) |
2010-04-01 – 2014-03-31
|
キーワード | 経済・社会事情 / 生活空間 / 生活様式 / 社会学 / 文化人類学 / 社会地理学 |
研究概要 |
本研究対象の「域内移民」は具体的には戦後まもなく群島民政機間の連携・支援,琉球政府設立(1952)後には同政府からの開拓事業にかかわる諸費用の補助,さらに直営事業による農業基本施設の整備ほかを享受しながら,ともに石垣・西表島に入植した開拓団編成による農業移民のことである。その入植展開期間は1948年11月から1957年6月までのほぼ10年間で公募制を原則としたため,全琉球に及ぶ36市町村から763世帯が入植し,石垣島に17か所・西表島に5か所,それぞれ10~70世帯から成る開拓農民集落を築き上げた。いずれの集落も,その組織的核心に10~30世帯の地縁ないし血縁からなる社会集団の存在を必須要件とし,いわゆる離散地となる入植地での共同体形成の礎石にしいている。しかし,それらの有り様は,開拓団編成の規模によって異なることが,今次の現地調査で明らかになった。つまり開拓団編成の規模の拡大は,内包する礎石となる社会集団の数を増やす可能性を秘めてはいるが,入植後の実態としては,集落運営の隘路を除く意味あいからか,相互調整によってそれぞれの懐く離散共同体形成の念を消え失せてきている。それゆえ,これらの集落は,その入植動機が「軍使用による接収」によるものを除けば,いずれも離散共同体ともいえる「国頭系共同体(大宜味村で代表される)」,「宮古系共同体(下地・多良間で代表される)」と,現地で醸成されてきた新たな共同体のいずれかによって支えられている。特筆すべきことは,対象集落の3分の1に相当する集落で,その主導的な共同体となってきた「国頭系共同体」が崩れ始めているのに対し,「宮古系共同体」は対象集落の4分の1ほどでは堅持されていることである。この相異に郷友会活動ほかがどのようにかかわるかについては今後の課題の一つとしたい。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
転落怪我の入院により,取得資料の整理,現地調査が遅滞したため。
|
今後の研究の推進方策 |
いずれの調査集落においても,対談者並びに中途入植者の補充が曖昧であるので,八重山移住関係史資料を大量に保管している石垣市教育委員会にその閲覧を申し入れ,一部実現して作業に入ったところである。
|