研究課題/領域番号 |
22520813
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
小田 博志 北海道大学, 大学院・文学研究科, 准教授 (30333579)
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キーワード | 歴史和解 / 平和研究 / 植民地主義 / ドイツ / アフリカ |
研究概要 |
本研究課題実施の2年度目にあたる平成23年度には、ドイツ-タンザニア間の関係性の動態に重点をおいて、9月にタンザニアで現地調査を実施した。その成果は以下の通りである。 (1)イリンガ地域で1891年からムクワワ率いるヘヘ人軍がドイツ植民地軍との戦闘を行なった。ムクワワの頭骨はドイツに持ち去られたが、イギリスの仲介で返還されイリンガのムクワワ記念博物館に収められている。一方、同地区にはドイツ兵戦死者の追悼碑も建っている。後者の位置づけが問いとして残った。 (2)今回力点を置いて回ったのは、1905年に勃発した植民地期抵抗戦争の「マジマジ戦争」に関する記憶の場である。ソンゲアには国立のマジマジ記念博物館があるほか、マジマジの名を冠するサッカー・チームとスタジアムがある。キファニャ、キルワ・キシワニなどにもタンザニア側が建てた追悼碑がみられた。マジマジ戦争発端の村ナンデデには、ドイツ政府の出資で2008年に建立された追悼碑があり、この戦争を媒介としたドイツとの関係の変動を伺わせるものであった。 (3)マジマジ戦争に参加したドイツ人士官ハンス・パーシェの足跡を辿った。パーシェ自身に関する記憶は現地で刻まれていないものの、パーシェの赴任した地域にあったBoma(植民地地方行政長官事務所)のいくつかは現在でも保存され、自治体庁舎やホテルとして転用されている。 (4)ドイツ領東アフリカの歴史について研究しているタンザニア人研究者ニャガワ教授とマプンダ教授の知遇を得て、タンザニアにおける研究動向について知ることができた。 (5)以上の調査を通して暫定的に明らかになったのは、植民地期の戦争がタンザニア独立以降はナショナリズムと接続して想起される傾向にあること、またマジマジ戦争100周年以降になるとドイツがその「和解外交」の延長で、記憶の場建設に関与するようになっていることである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
タンザニアのドイツ植民地期に関する場所は、本研究課題の中でも特に重要でありながら、アクセスが困難な現場であった。平成23年度はそうした場所の数々を実際に訪問することができ、また研究者や調査協力者との人脈をつくることができた。そしてそれを通して理論的に意義のある知見を得ることができた。これらのことから本研究はまったく順調に進展していると判断できる。
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今後の研究の推進方策 |
今後の3年間も当初の計画通り研究を進めていく。これからの重点はナミビア、タンザニアそしてドイツにおける植民地期の記憶の場の文脈の調査と、それを媒介にした関係性の変動の分析である。
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