今年度の本研究は、戦時体制下に入る1930年代を中心に、農山漁村経済更生運動における指定町村の更生計画書を考察し、この時期の生活習俗に関わる指針、目標の意味を探ることを目的とした。特に更生運動第1期にあたる昭和7年からの5年間において、茨城県を対象に、各指定町村が目標とした冠婚葬祭をめぐる生活指針のあり方を分析し、学会発表および研究論文において報告を行った。本研究では昭和10年代にさしかかる時期における生活習俗に対し、公的組織より指針として出されたことの意味について検討を行った。たとえば冠婚葬祭における冗費の廃止、入退営時における贈答慣行の廃止、そして寄合における時間の励行など、更生計画書からは、生活習俗に対してより具体的な改善目標を掲げ、行政村単位に統一化された指針が出されている点がうかがえる。いわゆる「模範的な町村」であるあり方を示すことで、行政村のもとその下部組織であるムラ組織が系統化される流れを読み取ることができる。たとえば冠婚葬祭に関わる冗費を防ぐため、葬式の際使用する道具は、膳椀小屋をムラ単位で共有することで効率的に管理することや、葬式の運営や出席も明確な近隣関係の中で行うよう取り決めが文書化されるなど、各指定町村で目標が明文化されている。もちろんスローガン以上のものはなく、かけ声倒れであろうことも推測できる事例も見かけたが、少なくともこれまで字や組合など比較的各ムラで独自に慣習化され伝承されていたことが、何かしら行政村単位で系統だった生活習俗(いわゆる民俗的慣行)に整えられていく契機になったことは読み取ることができるのである。
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