本研究は、戦時体制下に入る1930年代を中心に、農山漁村経済更生運動における指定町村の更生計画書を渉猟、考察し、この時期の生活習俗に関わる指針、目標の意味を探ることを目的とした。 平成24年度は、23年度に引き続き更生運動第1期にあたる昭和7年からの5年間の茨城県内更生指定村の更生計画書に記載された生活改善に関わる事項を総合して分析した。あわせて長野県内の更生指定村における満州分村計画を実施した更生指定町村を対象に、その概要と経緯そして分村後の生活習俗の実態について予備的調査および関連資料の渉猟調査を行った。 本研究では、昭和10年代にさしかかる時期における生活習俗に対し、公的組織より指針として出されたことの意味について検討を行った。たとえば冠婚葬祭における冗費の廃止、入退営時における贈答慣行の廃止、そして寄合における時間の励行など、更生計画書からは、生活習俗に対してより具体的な改善目標を掲げ、各部落(ムラ組織)を統合した行政村単位の統一化された指針が出されている点がうかがえる。いわゆる「模範的な町村」であるあり方を示すことで、行政村のもとその下部組織であるムラ組織が系統化される流れを読み取ることができる。もちろんスローガン以上のものはなく、かけ声倒れであろうことも推測できる事例も見かけたが、少なくともこれまで字や組合など比較的各ムラで独自に慣習化され伝承されていたことが、何かしら行政村単位で系統だった生活習俗(いわゆる民俗的慣行)に整えられていく契機になったことは読み取ることができるのである。それは、満洲分村を多く出した長野県の更生指定村でも読み取ることが可能であった。 以上あげた成果は、平成22年度から引き続き行ってきたものである。引き続き来年度の新規研究課題において、茨城県、長野県における更生指定村で生活改善同盟会の活動があった事例を中心に項目の整理をつける予定である。
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