本研究の目的は、人間が他者とともに日常生活を送る社会的動物であるということを、その共同性の根源をめぐって、「共同性」の極限ともいえる、沸騰した社会運動の記憶の現在における語りを通じて、社会性の根源の「共同性」をタイにおけるフィールドワークを通じて探求することであった。 記憶は現在性と深く結びついている。現在の認知科学は主体がこの世界で生きているということは、世界と自らの折り合いをつけることであるということをあきらかにしつつある。本研究では、「森に入る」記憶を、その語れる現在の個々のライフヒストリーと現在におけるタイ社会に位置づけて探求を試みた。それにより、1976年の「10月6日事件」というクロノロジカルな歴史の一点についての語りとしてではなく、現在性における記憶の生成から、人間の共同性にアプローチすることができる。 1990年代後半、かつての「森の同志」たちが、それぞれの家庭や社会での役割に一段落ついたころから、森の拠点に記念碑を建て亡くなった同志を追悼する行事が行われ始めた。当初は、政治的な主義や主張において対立が表面化することもなく、記念事業は記憶を掘り起し、共同性を再確認するプロセスが見られた。しかし、2000年代に入り、保守中道的な路線の黄シャツ派と革新的でありながらタクシンという個性の強い政治家を支持する赤シャツ派の二派に分かれた政治闘争によってタイ全土が分断される政治状況となった。そのため、かつての同志によるユートピア的な「共同性」は後退し、それぞれの現在の政治経済的、社会的状況による亀裂が表面化してきたといえる。そうした中で記憶は再編成され、「共同性」の複雑な様相が明らかとなる。「共同性」とは常に現在進行形 の状況的産物なのである。
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