米軍統治下の琉球列島において社会科学調査と民間情報教育行政がどのような関係にあったのかという問題に焦点をあて、ジョージ・H・カーの個人文書を中心に、関連する史資料の複写収集を継続するとともに、筋年度に収集した資料の両徴処理を進めデータ整理作業をはじめた。 (1)2011年5月29日、日本台湾学会第13回学術大会にて「ジョージ・H・カーと沖縄人移民-台湾引揚からボリビア植民へ」というタイトルで、本研究で得た資料の分析をもとにした口頭発表。 (2)2011年9月15日より23日まで台湾に出張し、カーの編集になる米国海軍作戦本部の『民事手引』に収録された戦前の施設跡を実見した。転用されてはいるものの建築物が残存し、周辺住民から往時の状態を聞く。 (3)2012年1月3日より10日まで沖縄出張を利用し、沖縄県公文書館および那覇市歴史博物館にて川平朝申の個人文書を調査。川平は戦前の台北でカーと親交があり、戦後は琉球軍政府の文化行政官としてカーと再会。このような残留者たちと、当時の台北副領事カーには深い関係があり、この方面での調査の拡充がのぞまれた。 (4)2012年3月17日より21日まで台湾出張を利用し、国史館台湾文献館にて、中華民国行政長官公署に留用された川平ら残留者に関する資料を調査。 (5)海軍軍政学校でカーの同僚であったマードックの活動について「ジョージ・P・マードックと沖縄-米海軍作戦本部『民事手引』の再読から」というタイトルで雑誌論文にまとめた。 (6)2012年3月31日、復帰40年沖縄国際シンポジウムにて「親日であれ親米であれ我が郷土-植民地台湾と米軍政下琉球の沖縄人文化行政官」というタイトルで川平朝申の活動について発表。
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