1.「法律は法律だ」とする実証主義がナチス的不法に対してドイツの国民と法律家を無防備にしたという「ラートブルフ・テーゼ」は、ナチス期の法理論・法実務が実証主義的ではなかったという点で誤りだとされるようになってきたが、この点を再度検討した。従来あまり注目されてこなかった戦前のラートブルフの諸論考(1919年の実証主義批判、1933年のナチス刑法理論批判など)をも総合的に検討することによって、「テーゼ」がラートブルフの一貫した法概念論(正義という価値理念を法概念の本質的要素とする)、実証主義論(法学的実証主義を法の妥当根拠を究極的に権力に求める「法の権力理論」とみるもの)に基づく理論的必然性をもつものであり、その意味では誤りであったとはいえないことを確認した。「テーゼ」を誤りとする議論は実証主義の意味を限定的に捉えているために、この点を的確に把握しえなかったものといえる。この点を明らかにすることによって、自然法論か法実証主義かという依然として根強い不毛な二項対立図式の克服に寄与することができる。この成果はすでに論文にまとめており、平成23年度の早い時期に公表する。 2.「司法殺人」などにおけるナチス期の裁判官の刑事責任を免除する意図がラートブルフにあったのかどうかについて、戦前のラートブルフの故意論・枉法論に遡って検討するとともに、戦後西ドイツの刑法理論および判例における故意論・枉法論の動向に照らして評価するための検討を行った。その成果は平成23年度中に公表する。 3.ラートブルフの法概念論における理念の位置づけを普遍的語用論の観点から解釈することによって、その法概念論に現代的形態を付与しうることを、西日本法理論研究会において報告した。
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