本研究の目的は、一面で国家による言論助成行為とも考えられる著作権の設定を、表現め自画を規制する国家行為として捉えて、その憲法適合性を探究することにある。 各人の表現行為により生成される「情報」には、経済学でいうところの「公共財」としての性質がある。したがって情報は、言論市場において過少生産される傾向にあると思われる。ここに言論市場をregulateし、活発な言論活動が行われる土壌を整える国家の役割が認められる。国家は著作権法を制定するこでその役目を果たしたのである。 たた著作権法は、表現者による表現表出行為を促進するために、表出された「特定の表現形式」(from of expression)に排他的権利を設定している。このために後続表現者は、先行表現者のその表現形式を利用することについて、法律上の規制を受けることになる。著作権の設定は、この意味で国家による言論助成であると同時に、反面で国家による表現行為に対する規制としてもみることかけできる。 本年度は、こうした"国家による著作権の設定"の憲法適合性を判定するために「著作権をみる憲法学の視点」を確立する研究を行った。具体的な作業としては、著作権(法)の設定(制定)を表現の自由に対する規制とみる視点が確立されているアメリカ合衆国での議論を参照することを行った。かの国では1970年頃から「著作権と表現の自由」にのいての議論の蓄積がみられる。そこから「なにを言ったか」にとりそれを不法行為ととらえる「不法行為言論」(tortious speech)の枠組みで著作権法もみるべきであること、「定義的衡量」(definitional balancing)の手法でその憲法適合性が判定されるべきであることなど、著作権(法)の憲法問題を考える上での基本的議論枠組みを得ることができた。
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