2010年6月30日、イギリス最高裁は、イラク戦争・占領において熱中症にかかり死亡したイギリス兵士の遺族からの、1998年人権法の「生命に対する権利」侵害の訴えに対し、棄却の判決を下した。6対3と裁判官の判断が分かれた判決であった。2009年8月の控訴院判決を覆したこの最高裁判決には、メディアから批判的なコメントがなされたが、憲法学界からは今なお、活発な論評は聞こえてこない。 年度当初、この最高裁判決を巡る法学研究者、法曹実務家、軍関係者、国防省関係者などの間での議論の盛り上がりを予測し、それらを収集・整理した上で、従来の議論との関係を探ろうとしていた私の研究計画は、大きく狂ってしまった。と同時に、別の課題が生まれてきた。「この沈黙は、何から生じているのか?」 1998年人権法は、連立内閣を組閣している保守党にとって、好ましいものではなく、特に対テロ対策の円滑な遂行の「障害物」と見なされ、その改正が主張されてきた。また、最近のヨーロッパ人権裁判所の判決は、これまで当然とされていた受刑者の選挙権制限などのイギリスの施策を否定するもので、これまたヨーロッパ人権条約に対する批判が高まっている。こうした人権法関係の状況に加え、やはり軍事問題の扱い方に固有の困難さがあるように推測される。例えば、戦争開始に議会の関与を認めるようにとの法改正がブラウン政権の元で準備されたが、結局、軍事行動の迅速性を阻害するとの理由から、実現しなかった。改めて、軍隊と法の関係の難しさを実感させられた。
|