平成24年度は、タクシン政権(2001~6年)の対ビルマ(ミャンマー)政策の分析を研究計画とした。タクシン政権のビルマ外交は経済重視のビジネス外交という特徴をもち、軍部の安全保障重視の緩衝地帯政策や民主党の民主化を求める柔軟関与政策とも異なっていた。そこでの重要な分析のポイントは、タクシン政権のビジネス外交がタクシンの個人的な資質によるものなのか、両国の政治経済的な構造が大きな要因なのかという点と、それが軍事政権をどのように支援することになったのかという点である。 平成24年度の研究成果から以下のことが暫定的にいえるだろう。まず、ビルマ側の事情としては、1988年の民主化弾圧以降、先進国の経済制裁によって外貨不足に陥り、タイに森林伐採権や漁業権を売ったり、国内の民間との協力関係を強化したりして対応した。しかし、90年代中期以降、天然ガスが生産を開始し、そのほとんどをタイに輸出すると、その収益がビルマ軍事政権の財源となり、軍事体制は経済的に安定していった。 他方、タイの天然ガス消費はタイ経済の成長とともに急速に拡大し、1999年から2009年までの10年間に2倍に増加している。このような経済的な関係を背景に、タクシン首相は経済的な地域協力関係強化を目指した。たとえば、2003年には、タイのイニシアティブの下に、カンボジア、ラオス、ビルマとの間の経済協力戦略(ACMECS)の第1回首脳会議をビルマのパガンで開催した。 タクシンは首相としての地位を利用して自社のビルマでのビジネスを有利に展開させたという批判が、反タクシン勢力から繰り返し行われたが、それだけではそのビルマとの経済協力外交は説明がつかない。グローバル化するタイ経済を補完する要素としてビルマとの経済関係の強化政策がおこなわれ、それがビルマ政府との関係の強化し、そして、ビルマ軍事政権の支援につながったといえる。
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