アダム・スミスの思想における、社会倫理形成のメカニズム=共感と自己愛=市場経済的利己心との関連付けを、『道徳感情論』と『国富論』に内在しつつ解明するという課題は、なお基本的な部分に限られるとはいえ、おおよそ解明の手掛かりを得た。つまり、共感は、動物に特有の生まれつき備わった機能であり、それを通じて「他者との一体感」を築きあげ、社会を確立していくという説明は、のちに、ダーウィンによって「社会的本能」として再定式化される「道徳進化」の理論と内容的ほとんど変わらず、ダーウィン自身が、スミスの「共感の理論」を極めて高く評価していたことも、確認できた。 エジンバラでの資料調査や、生物学者や進化心理学者、さらには科学史家の数多くの研究成果を確認しつつ、いくつか論文にまとめ、発表できたが、まだ、『道徳感情論』の全体、『国富論』の全体をそれぞれ体系的に再構成するところまでは、手が届かなかった。しかし、『国富論』の場合、出発点に据えられた「交換性向」は、明らかに「共感」を前提し、その能力を有する人間だけに特有の社会性の前提・承認であって、したがって、『国富論』は市場社会における「共感の体系」、つまり市場的社会倫理の確立についての議論である点で、『道徳感情論』と直接結び付き、その延長線上にあることがおおよそ判明してきている。
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