乳児の生死は母体の健康状態、養育条件等の影響を強く受けるため、乳児の死亡率はその地域の経済・教育や保健医療の水準を反映する指標とされる。この乳児死亡と、母体の健康状態や育児、母子保健、医療、さらにそれらに影響を与える社会・経済環境との関係を歴史的に検討することは、人間の生存とそれを制約する社会との関係を理解するために重要な課題である。本研究はこのような問題意識に基づき、昭和戦前期の農村を対象として次に示す仮説を立てた。大正期と同様「大きい女性の労働負担」が存在していたにもかかわらず、「栄養不良の改善」→「宿主の抵抗力>病原体の感染力」→「新生児期以降死亡率の低下」という因果関係によって新生児以降の乳児死亡率低下が説明されるという仮説である。この仮説を構成する要素のうち前年度においては1930年代の農村では粉乳利用によって「栄養不良の回避」が実現されていたことを明らかにした。本年度は、まず1939-40年に調査された『農山漁村母性及乳児の栄養に関する調査報告書』(恩賜財団大日本母子愛育会愛育研究所保健部編、愛育研究所、南江堂、1944年)によって全国の農村における粉乳利用状況を明らかにした。次いで、1938年の『昭和十三年全国道府県郡市区町村別 出産・死亡・死産及乳幼児死亡統計』(厚生省社会局、1941年)に記載された農村別の新生児期以降死亡率と粉乳利用データを使って回帰分析を行い、農村別新生児期以降死亡率の高低を粉乳の利用の有無によって説明できることを示した。あわせて、耕地面積を女性の労働負担の代理変数と考え、地域ごとの耕地面積の大小が死亡率の高低を説明することも示した。したがって、昭和に入っても女性の労働負担は大きいままであったが、「栄養不良の改善」→(「宿主の抵抗力>病原体の感染力」)→「新生児期以降死亡率の低下」という因果関係による説明の妥当性を検証できたといえる。
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