研究概要 |
複式簿記を包摂して「会計」へと進化したとするなら、簿記と会計の接点にあるのは「年度決算書」。19世紀の中葉のドイツでは、まだ簡単な簿記ないし簡便な簿記としての「単式簿記」でしかなく、「複式簿記」はそれほど普及していなかったことから、年度決算書と単式簿記の関わりから解明した。年度決算書となる「財産目録」を作成することが世界で最初に規定されたのは1673年の「フランス商事王令」。17世紀を代表するのは、この法令を注釈して、1676年に出版されるSavary, J.の印刷本。本来、債権、債務を記録するのは単式簿記に頼らざるをえないが、「財産管理」のためには、現金、商品についても、これを記録するには単式簿記に頼らざるをえないこと、さらに、「損益計算」のためには、簿記によって得られる帳簿棚卸を実地棚卸によって整理、調整して、財産目録から「貸借対照表」が作成されることを確証した。 併せて、私が疑問を持つのは、16世紀に展開される「ドイツ固有の簿記」。簡単な簿記ないし簡便な簿記として、16世紀のドイツには、かなり普及したが、16世紀の末葉には、複式簿記と融合してしまうからである。そこで、16世紀に展開される「ドイツ固有の簿記」について、von Ellenbogen, E.の印刷本、1537年の初版本と1538年の改訂版を比較、検討して、「損益集合表」としての損益計算書と「残高検証表」としての貸借対照表が作成されることも解明した。 なお、ドイツ中部都市、南部都市に備付けられる商業帳簿から解明する計画であったが、資料の調査、収集がうまくいかず、その印刷本を中心に解明せざるをえなかった。
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