研究概要 |
複式簿記を包摂して「会計」へと進化したとするなら、簿記と会計の接点にあるのは「年度決算書」。19世紀の中葉のドイツでは、簡単な簿記ないし簡便な簿記としての「単式簿記」でしかなく、「複式簿記」はそれほど普及していなかったことから、年度決算書と単式簿記の関わりから解明した。世界で最初に、年度決算書となる「財産目録」を作成することが規定されたのは「フランス商事王令」。そこで、17世紀を代表するSavary,Jacquesの印刷本に続いて、18世紀を代表するde la Porte,Matthieuの印刷本、さらに、19世紀を代表するSchiebe,Augustの印刷本を解明することで、小売商は財産目録から「単式簿記」の貸借対照表を作成。小売商を除く商人、銀行家や卸売商は「複式簿記」の貸借対照表、したがって、残高勘定を作成して、「財産目録」の代用としえたことを論証しえたようである。本来、ドイツ諸都市に備付けられる商業帳簿から年度決算書を解明する積もりでいたが、資料の調査、収集がうまくいかず、印刷本による研究にシフトを移さざるをえなかったが、研究計画はかえって進展したようで、残すは「単式簿記と複式簿記の融合」と「研究の総括」をまとめるだけである。 これに併せて、私が疑問を持ったのは、16世紀に展開される「ドイツ固有の簿記」。簡単な簿記ないし簡便な簿記として、16世紀のドイツにかなり普及したのだが、16世紀末葉には、複式簿記に融合してしまうからである。そこで、「16世紀におけるドイツ固有の簿記とイタリア簿記の交渉と融合」についても解明して、すでに、拙著;『16世紀におけるドイツ固有の簿記の研究』も公刊している。
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