研究概要 |
複式簿記を包摂して「会計」へ進化するとしたら、簿記と会計の接点にあるのは、「年度決算書」。「財産目録」が世界で最初に規定されるのは、1673年に公布される「フランス商事王令」。簡単ないし簡便な簿記としての「単式簿記」を頼りに作成される「財産目録の貸借対照表」。作成するのは「普通商人」である。これに対して、1704年に出版されるde la Porte,M.の印刷本によると、「大商人」と「銀行家」が作成するのは、「複式簿記」から誘導される「損益勘定」と「残高勘定」。この残高勘定が「財産目録の貸借対照表」に相当するというのである。しかし、ドイツに複式簿記が普及するのは19世紀の中葉。1836年に出版されるSchiebe,A.によると、期間損益を検証するのに、その損益勘定に相当する「財産目録の検証表」をも作成されねばならなくなるので、単式簿記は複雑ないし煩雑な簿記に陥って、複式簿記に融合することになる。しかも、1870年に公布される「ドイツ改正株式法」に確定資本金制が導入されるとなると、「貸借対照表」に計算されるのは配当可能利益としての「処分可能利益」。期間利益としての「稼得(業績)利益」が計算されるのは損益勘定の「損益計算書」である。1884年に公布される「ドイツ改正株式法」、1897年に公布される「ドイツ商法」から初めて、株式会社にではあるが、年度決算書として、貸借対照表に併存して「損益計算書」も規定される。複式簿記に、まさに融合することになるのである。 なお、1523年にドイツで最初に出版される印刷本、Grammateus,H.によって首唱される「ドイツ固有の簿記」については、1596年に出版されるWilhelm,M.の印刷本によって、ただの「二重記録」から「反対記録」に徹底されることによって、イタリア簿記、したがって、複式簿記に融合してしまっていることを付言しておきたい。
|