文献研究及び聞き取りによって、明らかとなったブルデュー社会学の論争的文脈は以下の通りである。 (1)主観主義と客観主義の対立。これに対してブルデューは、この対立が社会科学にとって不可欠な視点であるとしつつ、その合理的統一を「関係論的思考様式」によって確立する。 (2)ボルタンスキーとの主体性をめぐる対立。ボルタンスキーは行為に対する構造による規定を主張するブルデュー説を批判するが、これに対してブルデューは「社会現象を貫く傾向性、法則性の認識による」行為者の主体性回復を主張する。 (3)合理的選択論との論争。ヤン・エルスターらの「合理的選択理論」は狭い合理主義であり、行為者の回顧的合理化に過ぎないと批判する。 (4)R. ブードンとの教育論争。出自による教育的選別、階層的再生産に対して、ブードンは統計的な長期的観察によって確定すべきであり、ブルデューの教育論は「アファーマティブ」論に陥っていると批判。これに対してブルデューは、現代フランスのみならず今日の先進国においては教育による階級的「再生産」は実証されいると反論する。 (5)ジャーナリズム論争。ブルデューがフランスのメディアは外的圧力(スポンサー企業、視聴率)に支配され、自律性を失っていると批判するのに対して、ジャーナリストはメディアがその批判性を失ってはいないと反論する。ブルデューはジャーナリストの孤立を防ぎ、その自律性を確保するためジャーナリストと知識人の協議の場を提案する。 (6)教育の民主化論争。フランスにおける高等教育の進学率を増大させることが教育の「民主化」とする立場を、ブルデューは批判し、大学を選別機関にしている構造的問題の解決を提示する。 (7)J. Fアレグザンダーの「還元論」批判。市民社会を「界(champ)」に還元するという批判に対してブルデューは市民社会は理論的存在であり「界」こそが実在する社会と反論する。
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