日本占領下インドネシアのジャワでは,日本の大政翼賛会を模して結成されたジャワ奉公会(1944年3月~1945年8月)によって,地域住民の動員・統制・宣撫がなされたことが知られている.しかし,日本のインドネシア統治は,1942年3月から開始されており,ジャワ奉公会設立までには2年間の時間差がある.この2年間に,日本軍政当局が実施した翼賛運動に関する政策を一瞥してみると,三亜運動,民族別諸団体・社会諸団体,民衆総力結集運動の存在が確認できる.したがって,同時期のジャワにおける大政翼賛運動は,ジャワ奉公会だけでなく,ジャワ奉公会設立前の三亜運動,民族別諸団体・社会諸団体,民衆総力結集運動にまで遡り,その形成・発展過程を俯瞰した分析が必要である―これが本研究の基本的な問題関心であった. 以上の問題関心をふまえ,本研究は,先行研究では十全には解明されていない日本占領期ジャワにおける大政翼賛運動の形成・発展過程を分析することを目的とした. 分析にあたっては,同運動の形成・発展過程を3つの時期―①「胚胎期」(三亜運動が実施された時期,および,民族別諸団体と社会諸団体が結成された時期),②「準備期」(民衆総力結集運動の発足からジャワ奉公会設立にともなう解消までの時期),③「展開期」(ジャワ奉公会設立から終戦までの時期)―に研究課題を区分した. 本研究によって,ジャワ奉公会と隣組制度の連動性が,地域住民の動員・統制・宣撫にきわめて大きな機能をはたしたことが明らかになった.
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