中山間地における地域ケアのかかえる問題は、長野県内のいくつかの事例において、とりわけ顕著にあらわれていることが明らかになった。まず第一に、1990年代において地域ケアの先進的な事例と評価されていたところでは、介護保険制度の導入や地方交付税の削減などの影響を受けて、地域ケアの基盤は揺らいでいるものの、アクター間の連携が維持されるなど、他の地点と比較すると、相対的な優位性は保持していた。武石村は2006年3月に上田市に合併したが、武石診療所、依田窪福祉会、武石地域包括支援センター、武石地域自治センターなどの連携は維持されている。合併を機に、関係諸機関を整理統合し広域化するという方法をとらず、もとの村の範域をほぼ生かす形で関係諸機関を配置したことが、連携の維持につながった。また村時代の実践の積み重ねが、連携する文化の形成につながった。第二に、飯田市と長野市での、自治体合併をきっかけとした都市内分権の推進は、地域ケアに微妙な影響を及ぼしていた。都市内分権は、住民自治組織により大きな権限を付与するという意味において画期的なこころみであるが、福祉の活動が住民自治組織のなかに組み込まれたため、地域に根ざした社会福祉協議会の活動が失われる可能性があることが観察された。福祉活動の母体が、住民自治組織のなかの一部会になったことにより、福祉活動に住民の意志がいっそう反映されることが期待されたが、実際には、役員が回り番として意識されるようになり、前年通りの活動を維持するという傾向が生じていた。都市内分権のもつ地域ケアへの影響については、引き続き観察する必要があることが明らかになった。
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