本年度はボスニア・ヘルツェゴヴィナにおけるマイノリティ難民の帰還と社会統合の現況を調査し、分析した。得られた知見は次の二点である。 第1に先行研究やUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)はボスニア・ヘルツェゴヴィナの難民の帰還はほぼ終了したとみなしている。しかし、難民の帰還のプロセスがまだ終わっていない地域がある。たとえば、私が調査したモスタールとその周辺地域出身のセルビア人難民がそうである。UNHCRの見立てとは異なり、彼らは住宅の転売や別荘化のためにではなく、帰還と居住のために紛争で破壊された住宅の再建を望んでいた。モスタールはヘルツェゴヴィナ地方の中心都市であり、就職の機会やビジネスの機会、子どもの教育機会、都会的な暮らしやすさが大きな魅力になり、難民が帰還を切望する要因を形成する。 第2にマジョリティの支配地域に残留するマイノリティ住民の存在の意義である。私の調査例ではモスタール(ボスニア連邦)のセルビア人、バニャ・ルーカ(スルプスカ共和国)のボシュニャク人とクロアチア人がこれに当たる。彼らは避難民にならなかったので、難民の支援組織であるUNHCRが彼らの存在に注目しないのは当然かもしれない。しかし、もし国際社会がボスニアの民族浄化を容認せず、このプロセスを元に戻すことを目標として掲げる場合には、彼らの存在にもっと大きな注目を寄せてよいはずである。なぜなら、難民の帰還がほぼ完了した現在ではこのような残留者の存在こそがその地域の民族純化の進行に歯止めをかけ、多民族的な社会を維持することを可能にしているからである。 ボスニア・ヘルツェゴヴィナのマイノリティ残留者は厳しい生活条件にある。とくに雇用差別が存在し、年金などの恒常的な収入源をもたない者は最底辺の生活を強いられている。彼らの窮状はもはや難民政策の枠組みではなく、人権保障の観点から解決されるべき問題である。
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