今年度は,マラリアと共同体に関する基本文献を整理するとともに,沖縄県公文書館で公開された「八重山群島におけるマラリアの予防及び撲滅に関する文書」を含む19世紀末~20世紀半ばにかけての八重山マラリア関連文献を精査した。その結果,環境破壊や人口移動とマラリアとの関係について,以下の点が重要な示唆を含む知見として考えられた。 マラリアはマラリア原虫・媒介蚊・人間集団の共存関係である。マラリアは,自然環境と継続的に一定の相互関係を有する共同体に発生し,その共同体の中で伝えられる。マラリアよる共同体のレジリエンスの低下は,その三者関係の変化に由来すると考えられるが,最終的にはマラリア原虫や媒介蚊にとっても危機となる。したがって,マラリアの過剰な病毒性は一定期間の後に低下する筈であが,それが19世紀~20世紀半ばまで継続したことは,三者関係の変化自体が継続したこと,とくに人間集団の変化が継続して起きていたことを示唆する。 史料によると,重篤な熱帯熱マラリアが占める全マラリア患者数に対する比率が,1920年代後期(大正から昭和への移行期)から上昇して約10年間継続したが,1938年に再び低下した。この10年前後でのマラリア原虫種および媒介蚊種の交替は,八重山地域の開発と移民の流入,およびマラリア防疫事業と農業構造の変化等が影響していると考えられ,そのことを八重山郡マラリア防遏所史料の各字のマラリア原虫種の比率の推移によって,部分的に確証することができた。 これまで環境史研究の分野では,病原体を含む微生物と社会との関係について,生物と社会の共進化という観点では,あまり取り上げられていない。八重山のマラリアの事例は,マラリア原虫・媒介蚊・人間集団の遺伝子頻度の変化を含むと考えられ,共進化と人間側の共同体のレジリエンスという新たな課題を提示するであろう。
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