本年度は、戦後日本における親子間の規範(親子規範)の変容を明らかにするため、刑法における直系尊属に対する罪の加重規定(尊属親等重罰規定)をめぐる議論を分析した。得られた知見は以下の通りである。 (1)明治期から1995年まで存続していた尊属親等重罰規定は、自己および配偶者の直系尊属に対する「孝」規範を反映させたものであった。戦後、民法における家制度の廃止、「孝」を親子間の封建的な支配服従関係を強いる規範とみなす勢力の台頭を背景として、尊属傷害致死事件に対する1950年の最高裁判決が契機となり、重罰規定の存在が揺らぎ始めた。判決が下る過程では、親子間の道徳を法律で規定すべきかどうか、「孝」規範が普遍的なものかどうかが争点となった。この判決に触発され、親孝行をめぐる議論も高まった。 (2)重罰規定に関する議論をさらに沸騰させ、重罰規定の適用を停止させる機能を果たしたのが、尊属殺人事件に対する1973年の最高裁判決である。報恩を基盤とする「孝」規範を、封建的で反民主主義的と捉える論調の高まり、犯行の動機となった被害者(実父)の加害者(娘)に対する、長年にわたる性的虐待の実態が社会に大きな衝撃を与えたことにより、重罰規定の存在価値が崩壊した。 (3)このような尊属殺等重罰規定に対する批判の高まりは、この時期の親役割に関する規範の変化と関わっている。1950年代~60年代における家族計画運動においては、親の「子供をよりよく養育せねばならないと考える健全な責任感」を強化することが目指され、親が老後の生活を子どもに頼る意識をもつことが非難された。この運動の理念は、子ども数を制限して生活水準を向上させたいという国民の欲求と合致することによって、国民の間に浸透した。その過程で、「報恩」を子に求める「孝」規範は、「封建的」なものとして批判され、親の子に対する責任のみが強調されていったのである。
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