本年度は、研究のまとめとして紀要に論文を発表した。また年度内の刊行はできなかったが、単行本(共著)に研究成果を発表した。さらに、ホームページと報告書を作成し、これまで本研究について行った学会発表と論文を集めて公開した。 研究成果としては、ホイットニー・ヤングを中心に1950年代の専門社会事業の状況をより明らかにすることができた。特に、全国社会事業会議やソーシャルワーカー協会などの専門社会事業団体においては、黒人社会事業家の中でも穏健派を要職に登用する動きをみせてはいたものの、組織を挙げての積極的な人種統合としては、何も講じていなかった。むしろ、1954年最高裁判決後、南部の都市や地域の支部からの要請によって、人種統合に及び腰になったと言える。南部の各支部がそのような動きをしたのは、白人権力者層からの政治的圧力の増加や寄付金の減少を恐れたためであり、彼らは改革に消極的で、全国組織の介入を望んでいなかった。 唯一、人種統合に積極的に取り組んでいたのは、民間団体を傘下に入れた全国社会福祉会議(NSWA)である。彼らは全国都市同盟(NUL)などの黒人社会事業団体もその傘下に収め、協議できる場を設けた。NSWAは、社会事業団体や機関における人種統合についての相談やワークショップを積極的に開催していた。 本研究の成果として、最高裁判決後も人種統合がなかなか進んでいなかった1950年代にも、統合に前向きに取り組んでいた団体があったため、ホイットニー・ヤングが、社会福祉活動におけるマイノリティからの問題提起をすることができたということがわかった。また1960年代のより強力な人種統合への圧力が生じた背景には、NSWAの活動や、GI Billによる大学進学黒人の増加、そして穏健派黒人たちの地道な活動があったといえる。
|