本研究では、精神病者監護法(1900年・明治33年制定)、結核予防に関する件(1904年・明治37年→結核予防法、1919年・大正8年)および癩予防法(1907年・明治40年)の三法の政策課題を比較検証し、明治後期の各慢性疾病対策の特徴を、第一次資料をもとに解明した。その結果、精神病者監護法は条約改正にむけて法治体制を整えたい明治政府の意図として明治民法の不備を補う(財産保護のみでなく「人権」保護の特別法)必要から、そして癩予防二関スル法律は「一等国日本」としての国家の体面から収容隔離の推進を図るため、さらに結核予防法は富国強兵策を推進する上での人力政策(労働力および兵力の確保)を背景に制定されたことを明らかにした。法治体制・衛生体制・軍事体制を整える上で、慢性疾病対策は重要な意味を有する。富国強兵・殖産興業の政策課題を慢性疾患対策にも反映させ、明治政府は慢性三疾病に「監護」「隔離」「労働」という三様の方針を採用した。
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