本年度は,大正期から昭和戦前期にかけての訓育論と訓育の実践に関して,学級経営論・実践との関連に留意しながら,教育学書,教育雑誌所載の文献資料の他個別の学校資料も含めて,検討を行った。主要な結論は以下の通り。 (1)明治末に理論的に成立をみる「訓練論」を背景に,明治末から大正期にかけて,学校の訓育実践も体系化される。目標という視点から見ると,学校ごとの訓練綱領-訓練要目-校訓-級訓といったように階層化,体系化され校歌や児童心得もこの中に位置づけられることになった。訓練の方法(機会)も学校内の各種行事,自治会の活動,さらには家庭,地域での活動が網羅されるようになる。 (2)こうした訓育の目標や方法の体系化に対応して,1910年代の前半には,学力,身体に関する学力試験,身体検査に比して,訓練の効果の測定,評価が立ち後れているという認識が形成されてくる。 (3)明治30年代後半以降流行した個性教育論・実践は,訓育においても,「個人訓練」の重要性の認識をもたらし,これと実験教育学,測定運動などの実証主義的傾向が結びついて個性観察,個性調査が精密化していくが,さらに,この調査から個人別の訓練に関する処方を導き出し,その結果どのように変化したのかを細密で結果として些末な評価項目毎に調査するといった動向導き出した。 (4)訓育の目標は教育勅語や詔勅から演繹されるのが一般的だったが,(3)の管理主義的訓練とこれらの目標をどう整合的に関連づけられていいない。目標における内面形成と評価における外面的指標という矛盾は,明治前期の教育令期以降解決されないままであった。
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