本研究は、緑表紙教科書(『尋常小学算術』、1935年)の編纂過程に焦点を当てて、近代数学教育史を再構成するものであった。研究期間の最終年度に当たる今年度は、これまでの研究成果を整理しつつ、それを近代数学教育史というより広い文脈に位置づけなおす作業を行った。(以上の結果は、日本教育史研究会のサマーセミナーで報告した。) 本研究を通して得られたのは次の2点であった。第一に、初等中等学校の算数・数学教育を敷衍してみた場合、緑表紙教科書とその編纂過程はすでに戦時期の特徴を備えていることが明らかとなった。本研究では、戦時期の教育の特徴を軍事的教材の導入に限定せず、最適化問題の導入に象徴される科学に対する工学の優位、および歴史性の脱色として現れた「文化的他者の喪失」として再定義した。それによって、現代の教育者が緑表紙教科書に抱く神話の歴史的構造を解明する手がかりを得た。第二に、文化的他者の喪失として戦時期を再定義した場合、戦後の生活単元学習は、アメリカの大衆消費生活が想定された架空の環境のもとで、戦時期の夢を追求したものとしてとらえられることが確認された。したがって、緑表紙教科書の教育、戦時期の教育、および戦後新教育のある側面は、同一性で特徴づけられる。これによって、戦後のリベラル・エデュケーションの復権とその後の子ども中心主義との相克を理解する基本的な地図が得られたと考えている。
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