本研究は、植民地中期から末期の朝鮮を対象に、「同化」政策における日本語教育の役割解明を目的としている。平成22年度は、三・一独立運動後の第二次朝鮮教育令期(1922~1937年)を対象に、第一に、朝鮮総督府教育関係者や内地の教育関係者の「国語認識」解明のために、朝鮮総督府発行の報告書、現地雑誌記事、内地教育雑誌の関連記事などを収集・分析した。その結果、騒擾の原因は、朝鮮人の「独立心」や「併合への不満」、民族自決主義の影響との見方が大勢であった。騒擾と国語教育の関係についての論評は、殆ど行われず、国語教育自体に関する論説も極わずかであったが、その内容は、日本人からは国語教育強化論、朝鮮人からは国語重視への反対論及び朝鮮語本位論であった。これらから、国語の民族統一力に関する認識の解明には、第二次朝鮮教育令期の実態や次の第三次朝鮮教育令期の国語認識や国語教育の実態をもつきあわせ、変化を探ることが必要である。 第二に、「同化」のために国語科が担った役割解明を行った。国語科の要旨、国語科の材料に関する規程の内容は、騒擾前と変化はなく、『普通学校国語読本』(全8巻)(1923~24年朝鮮総督府発行)の分析の結果、「同化」の概念は、基本的には第一次朝鮮教育令期と変化はなかった。ただし、同化の要素のうち、個人的心得(勤勉・努力・節約・マナーを守る等)と家庭での兄弟・親子の情愛が強調され、天皇への感謝・国家繁栄のために尽力する人となるという要素が薄れたことが大きな変化であった。
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