研究計画の第1年度は、フンボルトに注目して、ドイツの大学自治観を考察した。まず、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したパウルゼンの大学論に投影されるフンボルト像を明らかにして、その結果を日本高等教育学会で発表した。パウルゼンの著作物の中で、フンボルトを大学改革の中心人物として記述したのは1902年に刊行された『ドイツの大学と大学教育』が最初であり、それ以前の著作においてフンボルトは言語学者として言及されていたのである。 パウルゼン以前にフンボルトの大学論を取り上げたのはディーテリチである。ディーテリチの著作においてフンボルトの大学論といえばプロイセン国王フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世に提出した「ベルリン大学の創設に関する建議」であったが、パウルゼン以後、20世紀になると、ベルリン科学アカデミーのアーカイブで発見された文書「ベルリンの高等学問施設の内的及び外的組織について」とされた。マックス・レンツは『ベルリン大学百年史』において、両者がおおむね同一内容であると述べているのだが、本研究では文意を厳密に検討することにより、前者がベルリン大学設置計画であるのに対して、後者はベルリン科学アカデミー変革論であるとの結論に達した。アカデミー変革論から大学自治論を導出できないと、通説と異なる見解に到達した点に、本研究の意義がある。 上記の考察の概要については、『大学論集』に掲載された論文「ドイツにおける近代大学理念の形成過程」を参照されたい。
|