東京女子師範学校付属幼稚園の初代首席保姆松野クララの人物像とその保育(幼児教育)観を捉えることで、彼女が東京女子師範学校幼稚園保姆練習科の成立にどのような役割を果たしたのか、また、彼女の着任はその後の同校及び我が国の保育者養成にどのような意味を持っていたのかを考察するため、基本的文献を整理、考察したり、ドイツにクラの子孫を訪ね、インタビューを行ったり、史料探索を行ったりした。 その結果、クララは夫ハザマの勧めで保姆資格を取得したというKatharina Zitelmannの聞き取り記録を発見した。また彼女の洗礼記録から出生年月日、両親の氏名や出生地、両親の肖像画などを新規に発見し、そのプロフィールがさらに具体的になった。 他に、明治初期のドイツ出身お雇い外国人の残した資料や伝記を調べ、そこでクララの日本での生活ぶりを伝える史料をいくつか発見した。 その後、彼女が残した3点の文献を詳細に検討した結果、クララはどこで保育者教育を受けたのかはまだ判然としないが、19世紀後半ドイツに興った幼児教育革新の波の中でその保育観を確立していったことが窺われた。さらに、日本人保姆に対して、保育唱歌の歌詞の添削を行うなど、唱歌の成立にもこれまで考えられてきた以上に積極的かかわりをしていることがわかり、今後に資するものが大きかった。
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