研究課題/領域番号 |
22530897
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研究機関 | 長野県短期大学 |
研究代表者 |
立浪 澄子 長野県短期大学, 幼児教育学科, 教授 (20241193)
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キーワード | 松野クララ / 幼稚園 / 保育者養成史 |
研究概要 |
初年度は、東京女子師範学校附属幼稚園の初代主任保姆松野クララの人物像とその保育(幼児教育)観を捉えることで、彼女が東京女子師範学校幼稚園保姆練習科の成立にどのような役割を果たしたのか、また、彼女の着任はその後の同校及び我が国の保育者養成にどのような意味を持っていたのかを考察するため、基本的文献を整理、考察したり、ドイツにクララの子孫を訪ね、インタビューを行ったり、史料探索を行ったりした。 その結果、クララは夫ハザマの勧めで保姆資格を取得したというKatharina Zitelmannの聞き取り記録を発見した。また彼女の洗礼記録から出生年月日、両親の氏名や出生地、両親の肖像画などを新規に発見し、そのプロフィールがさらに具体的になった。 二年度は、クララの保姆就任について、これまでは、たまたま日本人と結婚のために来日していた女性が偶然保姆資格を持っていたというのが通説であったが、田中不二麿が岩倉使節団の一員として訪独した際、クララの存在を知り、保姆として迎える計画を来日前から持っていた可能性を指摘することが出来た。 さらに、2011年11月には多くの関係者の協力によって青山霊園の夫と娘が眠る墓のそばにクララの顕彰碑を建立し、その報告書を発行したり、日独協会機関誌にクララの業績を紹介したりすることで社会の関心を高め、今後の研究の進展の手がかりとすることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
当初から史料も少なく、研究の急激な進展は期待していなかったが、今までのところ、これまでに発見されていなかった松野クララの出生時の住所、両親や兄弟の氏名、また晩年の興味深い消息等が明らかになった。またこれまでFritz Putzier(1851-1901)(旧制第一高校教員)の妻とされてきたクララの姉はPutzierの妻ではなかったことなど、新しい史実も発見する事ができた。
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今後の研究の推進方策 |
今後はこれまで調査し、集めてきた史料を整理して、クララが果たして来た役割とクララをめぐってあきらかになった幼稚園開園当時の保育者養成について、一論にまとめていきたい。
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