本研究の目的は「東京女子師範学校付属幼稚園初代監事関信三及び付属幼稚園首席保姆松野クララが、同じく日本最初の幼稚園教諭養成課程である東京女子師範学校幼稚園保姆練習科の成立とその教育に果たした役割と業績」、「保育者養成の草創期において東京女子師範学校幼稚園保姆練習科がどのような役割を果たし、あるいはどのような意味を持っていたのか」を明らかにすることである。 初年度は関が東京女子師範学校摂理中村正直の招請に応じたことや、松野クララに関するこれまでの先行研究の整理を行い、ドイツの訪問調査を通して、これらの真偽をできる限り明らかにした。 2年目は、これまでの調査に基づいて、クララの業績を明らかにし、多くの方々のご協力を得て青山霊園にある夫松野ハザマの墓の敷地にクララの顕彰碑を建立した。 3年目は、これまであいまいであったクララ来日の経緯について、青木周蔵資料、品川弥二郎資料、またクララの家に一時寄留したKatharina Zitelmannの残した資料等から、田中不二麿が岩倉使節団の一員として訪独した際、クララの存在を知り、保姆として迎える計画を来日前から持っていた可能性を仮説として提示した論文を発表した。 また、クララの薫陶を受けた日本人保姆、豊田芙雄、近藤濱、横川楳らの資料及び第1回幼稚園保姆練習科卒業生の残した資料を探索、可能な限り収集した。今後はこれらの卒業生が果たした役割とその後の保育者養成の歩みを引き続き検討していきたい。
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