研究概要 |
・「学生」が巷にあふれ始め、文明開化を彩るひとつの新奇な出来事として注目を浴びるようになったのは、明治十年代の半ば、東京でのことである。武士的な気風は薄れつつあり、夏目漱石の小説『それから』の「代助」のような、旧藩時代の父や叔父の刃傷沙汰を聞いて「勇ましいと云う気持ちよりも、まず怖い方が先に立つ」感性が芽生えようとしていた。「学生」たちが自らのアイデンティティを模索していく時代の幕開けにあって、彼らは何を考え、どのような生活を送っていたのだろうか。坪内逍遙の小説『当世書生気質』(を題材に、同作品に登場する学生たちの交友関係や行動エリア、言葉遣い、会話の特徴から、彼らが互いにどのような世界観を共有していたのかについて考察した。そこには、風流と遊楽の空間を彷徨い、諧謔の世界を楽しむ学生たちの姿が、いささか戯画的に描かれているとはいえ、あるいは現実生活で取り結んでいた重層的な関係が半ば伏せられているとはいえ、学歴エリートとしての「同輩集団(peer group)」の絆を取り結んでいこうとするオルタナティブ(alternative)な学生像が示されているのである。 ・東亜同文書院(のちに大学)は、1901年に中国の上海に設立された、日中提携のための人材育成を目的とする高等教育機関である。終戦までに5,000人もの卒業生を送り出し、日中文化交流の中心的な地位を占めてきた。その跡地が、現在の上海交通大学であり、付属の図書館と資料館に東亜同文書院に関わる資料や文献が保存されているとされる。実際に同資料館に調査に訪れ、保存される資料の閲覧・確認を行った。虹口区にあった内山書店などについても、中日の進歩的文化人が集まるサロンのような存在として重要であり、魯迅故居や魯迅記念館、内山書店を訪れ当時の資料、史跡を調査を行った。
|