研究概要 |
近代における土木事業は、近代化・産業化・西洋化を第一の目的として日本各地で進められ、現在にまで様々なかたちで影響を及ぼしている。本研究では、琵琶湖疏水事業をとりあげ、京都が「首都」から「古都」へとその性格を変容させていくなかで、疏水事業が京都に与えたインパクトとその意味を考察した。とりわけ注目したのが、産業と土地利用・防火都市の構築・疏水観光と都市イメージ、の3点である。 1)産業と土地利用については、京都市上下水道局琵琶湖疏水事務所所蔵の疏水経路図・土地利用図、および田辺(朔郎)家文書の御所用水図面、御所水道図面などから水路用地取得状況、水利用の実態について明らかにし、小野芳朗・西寺秀・中嶋節子「琵琶湖疏水建設に関わる鴨東線路と土地取得の実態」(日本建築学会計画系論文集 77(676), 1513-1520, 2012-06)として発表した。産業については、『全国工場通覧』、『京都商工人名録』、『京都電話番号簿』、地籍図、京都府立総合資料館所蔵の「京都市明細図」を中心に、琵琶湖疏水着手前から昭和初期までをトレースすることで、産業化の過程と疏水利用、都市計画との関係を把握した。これについては、都市基盤研究会(2012/11/17京都工芸繊維大学)にて「近代京都における鴨東地区の産業と市街化の展開」として口頭発表している。 2)防火をめぐっては、御所水道、本願寺水道などよく知られているもののほか、多くの社寺や公共施設おいて進められた防火施設整備について、琵琶湖疏水の利用を軸に近代の防火意識、都市像のあり様を調査・分析した。一部は上記論文中において発表済みである。 3)観光をめぐっては、疏水事務所所蔵史料にある建造物・工作物設置の申請・許可書類にみる施設整備の実態、遊船の運行状況・乗客数などを把握することで、それが以後の遊覧都市京都における岡崎地域イメージを牽引したことを指摘した。
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