新潟県上越、中越、下越の地方毎に藩政期の御蔵所に関する史料及び実地調査を行なった。 上越で河川水運を用いた年貢米輸送が盛んだった地域は、関川流域高田平野・高田藩領や幕府直轄領(預所を含む)であった。藩の御蔵所については、関川河口・直江津港の高田藩御蔵所の見取図を確認。また、幕府直轄地村々には郷蔵が見られた。うち、郷蔵所2ヶ所の見取図を確認。 中越の前記の地域は、信濃川流域越後平野及びその周辺、魚野川流域六日町盆地等・長岡藩等の私領や幕府直轄領であった。藩の御蔵所については、長岡藩の城下及び周辺、栃尾組の御蔵所の見取図等、村松藩や与板藩の御蔵所(各1ヶ所)の敷地と建物が絵的に描かれた町絵図を確認。また、幕府直轄地郷蔵所2ヶ所の見取図、1ヶ所の村絵図(建物種別不明)を確認。 下越の前記の地域は、信濃川・阿賀野川流域越後平野・新発田藩、村上藩、村松藩等の私領や幕府直轄領であった。藩の御蔵所については、信濃川河口・新潟港の新発田藩沼垂御蔵所、長岡藩御蔵所の見取図(後者の建物は輪郭のみ)、長岡藩御蔵所(1ヶ所)の敷地と建物が絵的に描かれた村絵図、村上城御蔵輪郭のみが描かれる城下絵図を確認。また、幕府直轄地郷蔵所2ヶ所の見取図、1ヶ所の町絵図(敷地など不明)を確認。 なお、以上の藩の御蔵所の建築遺構は見られなかった。 以上の御蔵所の見取図やその運営に関する文献を得ることができたので、長岡藩御蔵所の空間構成を検討・分析、作成した論文を日本建築学会へ投稿した(現在、審査中)。さらに、郷蔵所も見取図が各地計6点見られたので、同様に論文を作成した(発表予定)。以上、失われた近世の水運施設から、主として都市や農村の防災上重要な知見を得ることができ、大変意義のある研究調査であった。
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