我国の歴史的建造物(特に社寺建築)を特徴付ける軒廻りの設計技法を軒規矩術法という。この規矩術は木割術とともに主要な建築設計技法であるが、木割術の研究の深化に比べて研究がほとんど手つかずの状況であった。それは規矩術が宮大工の秘伝の秘伝であったという理由だけでなく、技法そのものが複雑で検証し難いものであったことに起因していた。本研究はこうした軒廻りの規矩術について、中世から近世までの各時代の技法を実際の遺構や書誌資料をもとに実証的に明らかにするとともに、その変遷過程について研究したものである。 研究の結果、中世の規矩術法については、実際の遺構300例ほど(修理工事報告書と実測)を検証して、「留先法」というべき技法が存在することが導き出された。この仮説は現在考えられている「現代規矩術」とは全く反対の設計工程になるが、軒を平から決めるのではなく隅(留先)から決定すると考えるもので、この技法によって「現代規矩術」では説明できない様々な技法を明快に根拠付けることができるようになった。 近世の規矩術は書誌資料(大工文書、木版本)を中心に研究をおこなったもので、全ての資料が「引込垂木法」であることを明らかにすることが出来た。さらに、近世末には、設計の基準を隅木の真から側面に統一することによって、軒規矩全体の計画が統一されることになった。それを「引込垂木口脇法」と呼ぶこととした。この技法は明治以降の文化財建造物修理で使われる「現代規矩術」の考え方に大きな影響を与えたと考えられた。 以上のように本研究は、近世以前の軒規矩術法が、「現代規矩術」とは全く異なる技法であり、その変容過程までを明らかにしたもので、日本建築史とりわけ技術史上の残された大きな未解決の課題について解明できたと言うことができる。
|