山陰地方に卓越する懸造の仏堂は岩窟と複合しており、古代中国の石窟寺院を小型化した仏堂にみえる。その成立年代が不明であるため、鳥取市に所在する摩尼寺「奥の院」遺跡を発掘調査した。その結果、平安時代後半に巨巌を掘削して岩窟仏堂をつくり、その正面を整地して懸造の建物を建てていたことが判明した。さらに、インドから中国に至る大乗仏教のコースを遡行して石窟寺院を視察し、日本の岩窟型仏堂と中国の石窟寺院を比較した。その結果、入母屋造の礼堂を岩窟に密着させて正面に設けるB-2a 型が華北の石窟寺院に最も近い一方で、岩窟内に独立した懸造堂宇を設けるB-2b 型が福建省の甘露寺に類似することが明らかになった。甘露寺については、2012 年9 月に実測調査をおこなった。このほかミャンマー、ラオス、ブータンなどでも洞穴僧院を視察し、最古の証拠を残す西インド石窟群と上座部仏教の僧房窟群との類似性に言及している。
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