臨床において認知症患者を麻酔する機会は増加しつつあるが,認知症による全身麻酔作用の修飾は明らかでない.全身麻酔薬作用に及ぼす認知症の影響を検討する目的で,記憶学習障害を来すモデルマウスSAM-P8(16週齡)およびコントロールとしてSAM-R1(16週齡,記憶学習障害なし)を用いた検討を行った.SAMモデルマウスは,アルツハイマー病と類似した病理変化を来すことが知られている. 麻酔用チャンバーでSAM-P8およびR1に揮発性麻酔薬セボフルランを吸入させたところ,正向反射が失われるまでの時間(LORR)はP8の方がR1よりも短かった. 次に海馬スライス標本を用いて電気生理学的検討を行った.海馬白板にトレインの電気刺激(n=1000)を与えることにより抑制性介在ニューロンからの抑制性シナプス伝達物質(GABA)を強制的に放出させ,放出準備状態のシナプス小胞を一時的に枯渇させることを見出し,この現象を応用した.枯渇からの回復を観察することによりGARAの再取り込みを検討した.揮発性麻酔薬(セボフルラン,イソフルラン)はGABA再取り込みを抑制したが,その抑制の程度はR1よりもP8においてより顕著であった.一方,静脈麻酔薬(チオペンタール,プロポフォール)はシナプス前終末からのGABA放出を促進し,シナプス間隙のGABA濃度を高めるが,その回復過程はP8においてより顕著に延長していた. 当該研究から認知症モデルマウスにおいて揮発性麻酔薬および静脈麻酔薬の作用が増強することが示されていたが,これは認知症モデルマウスにおけるシナプス前終末におけるGABA再取り込みの抑制によると考えられた.今回の結果から,アルツハイマー病を含む認知症患者の全身麻酔においては,揮発性麻酔薬のMAC(最小肺胞濃度)を低く見積もり,静脈麻酔薬の体重あたりの投与量を少なくするべきと示唆された.
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