東北地方の看護教育は各県の社会的経済的事情によるバリエーションがある事が明確になった。日清戦争後日本赤十字社の看護婦養成が各地に委嘱され,これと前後してその地の看護婦養成が開始された。現時点で入手できた史料からは,宣教看護師の教えた看護というよりは,伝染病対策の一つとして看護が必要とされ,主として医師が教育にあたったことが明らかになった。 明治30年時点で医師は医学校卒13%,試験及第22%,従来現地開業65%という構成であり,近代医療の発達途上にあった。看護婦養成を担う医師の教育も重要であり,大日本私立衛生会が医療者の衛生意識向上に貢献したことが明らかになった。
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