日本における硝石の製造、流通について化学、歴史等の専門家を招いて研究会を開催した。硝石については現物も残されておらず、また製造法も肝心なところが不明な点が多いことがわかった。興味深かったのは、江戸時代に関東では数十万丁の銃が農村で保有されていたことである。 これらはいずれも武具ではなく農具として用いられた。先年のタイ、ラオスでも武具ではなく農具として使用されており、アジアでは銃と農業に強い関連があることがわかった。 ヨーロッパでの硝石の製造、流通についてベニス、ローマ、イギリスを調査した。 軍事都市ベニスには銃砲が数多く残っているが、硝石や黒色火薬が一体どこで製造されていたかは当地の国立図書館にも記録が残っていなかった。またイギリスでも黒色火薬製造で有名なファーバーシャム市歴史協会や大英図書館、大英博物館、オックスフォード図書館においても黒色火薬製造の記録はあったが、硝石の記録はみつけることができなかった。 ベニスは軍事都市としてインドや中国からヨーロッパへの硝石輸入の中継地との仮説を立てていたが、実際にはそうではなく、ベニスもまた硝石の消費地であったと推測される。ベニスが輸入していた硝石はインドや中国などではなく、スイス、ドイツではないかという説をベニス海洋史博物館の館長から聞いた。当地でも、他国同様に銃砲の歴史には関心があるが、黒色火薬やましてや硝石の製造についてはほとんど関心がはらわれていない。 ところでアジアと異なり、ヨーロッパの硝石製造は牧畜と深い関係があるものと思われる。銃ははじめから武具として発展したと思われる。
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