研究最終年度にあたる今年、わたしがもっとも注目したのは、ヴェトナム戦争にまつわるアメリカの現代詩人たちの主な仕事のありようであった。なかでも特に着目したのは、「ヴェトナム戦争詩人」の代表格の一人、Bruce Weigl (1949-)の全仕事であった。日本では未訳のままとなっているこの詩人の名は、アメリカの「ヴェトナム戦争文学」というジャンルを考える際、もはや避けては通れないほどの存在感を誇っている。Weiglは1967年から1年間、ヴェトナムに従軍した体験を実際に持つ詩人であり、「年間最優秀詩人」に贈られるアメリカのPushcart賞をこれまで二度も受賞している人物でもある。その創作のキャリアは非常に長く、今も戦争詩人の「現役」として、特筆すべき業績を残し続けている。ヴェトナム戦争終結の日から今日に至る30年以上の年月の中で、詩人Weiglはいったいどのように自らの戦争体験(および、母国アメリカの変わりゆく姿)を自らの詩作の中に込めてきたのか。彼の独特の歌い方には、戦争そのものの善悪の議論をはるかに超えるかのごとき雰囲気が常に広がっており、それゆえにこそ彼の各詩集は、今なお多くの米国読者の心を捉え続けているように思われる。そんな彼の詩学の根幹には、ヴェトナムでの戦場体験と当時の(あるいは、戦後から現在に至る)アメリカ国内の日常との間に、何がしかの「隠れた接点」を見出そうとする独自の思索行為すら見受けられるようである。Weiglの詩学を通して見えてくる独特の戦争詩のありようを、彼の実際の代表作品群のいくつか(および、彼以外の様々なアメリカの「ヴェトナム戦争詩人」たちの代表作品群)を精読・比較分析しながら詳細に追求しようとしたのが、研究三年目の主な成果であった。
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