平成22年度には、二度のロシア調査を行った。これにより、基本文献(定期刊行物ならびにその書誌の入手を含む)の確認について、かなりの程度まで進んだと言える。現地調査に関しては、2010年8月のペテルブルグ訪問時には、オレーニンの市内関係地ならびに郊外領地プリユーチノ、またナボコフの領地ロヂジェストヴェノを調査・見学し、いずれも多くの資料を得た。オレーニンが長らく館長職にあったベテルブルグ市の公共図書館では、現在の館長とも面談、本研究への協力を約束してもらうことができたし(ただし、同氏は面談からしばらく後に病没)、プリユーチノの邸宅跡博物館の館長からも同様の約束を得た。また、2011年2月のモスクワ調査では、本研究の対象となるウサーヂバ研究をソ連崩壊後に中核的に推進してきた「ロシア・ウサーヂバ研究協会」を訪問し、大きな成果を得た。この協会は、1920年代に大きな研究足跡を残したものを1992年に「再興」したもので、研究成果を論文集等として残すだけでなく、地方各地のウサーヂバ文化の拠点と緊密な連携をとり、その文化遺産の保存ならびに文化資源学理論の構築に大きな影響力を与えていることが、今回の訪問によって明らかになった。20世紀初頭にはほぼ「衰退」し、その後のロシア革命により「消滅」したはずのウサーヂバ文化の現在性とその意義を考察する上で大きな手がかりを与えられたと考えられる。また、協会訪問時に面談できた多くの研究者の中で、特に、会長のヴェデーニン氏ならびにウサーヂバ書誌の大家であるズロチェフスキイ氏に面会でき、今後の研究協力の約束を得たことも大きな成果である。ウサーヂバに関する書誌の莫大な全体(18世紀末から現代まで)が同氏の手によって二冊の成果として刊行されていること、上記協会が多方面にわたる文化保存・保全活動をきわめて精力的に展開していること等多くの情報を得ることができた。
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