文献収集と予備調査のためにパリとセネガルに3ヶ月滞在した。ニアセン教団発祥の地カオラックと、カオラック付近のセレル民族の農村バダフンに住み、教団の背景とセレルの文化を調査した。農民セレルの大衆は、19世紀のマ・バ・ジャホのジハードに抗しイスラームを拒否したが、20世紀初頭に後発の教団であるニアセン教団を受容し発展を支えた。彼らには、教団創設者イブラヒマ・ニアスが戦争を否定し平和を説いたこと、従来の教団では一部の信徒にのみ伝授された秘密の連祷ウィルドを万人に伝授し、このウィルドを唱えることによって「神を知る」神秘体験を万人に開放したことが魅力となっていた。少数者による宗教的秘密の独占を否定するこの思想は、経済生活において相対的に平等主義的なセレル農民に受容されやすかったと考えられる。カオラック周辺のセレルの村々には、今も土地の私有がない。村長は村の共有地を家族に分配し、家族はその利用権のみを持つ。村には小作人や極端な貧富の差がない。 「神を知る」とは、万物が神と一体であることを知る体験タルビーヤである。神との合一はイスラーム神秘主義の伝統的な観念だが、ニアセン教団は、万人が比較的容易にこの体験に到るとする点が特異である。タルビーヤに達した者は、人間はすなわち神であるからすべての人間を尊重すべきだと語る。ニアセン教団は、人種・性別・国家・民族を超えて人類は平等であり世界市民であるから世界平和を推進せよという、近代的なメッセージを発している。教団の信徒は白人であるモーリタニア人や西アフリカ諸国にも多く、カオラックの教団本拠地は、外国人信徒が学ぶコスモポリタン的様相を呈する。ナイジェリアでは、伝統的に敵対関係にある2民族がともにニアセン教団を受容し、敵対が緩和されたという。この教団には、イスラーム神秘主義を通じた連帯と平和の可能性の模索という側面があることも、明らかになった。
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