18世紀における勤労育成思想の特徴を抽出するために、まずこの時期の労働観の変遷過程を整理する作業を進めた。その結果、そこには「低賃金経済論」から「高賃金経済論」への転換、底流として「独立生産者」を基盤とする分業と交換のシステムの思想が存在し、それがフランシス・ハチスン、デイヴィッド・ヒューム、ジェイムズ・スチュアートなどの代表的な思想家の経済思想を大きく規定しており、それを乗り越える形でアダム・スミスの分業と交換の経済学が成立してくることが明らかになった。この成果は、「経済学形成期における労働観の展開」としてまとめ、12月の「啓蒙と経済学」研究会で報告した。これにより、18世紀における勤労育成思想の見取り図を描くことができた。また、産業革命の始まりまでの勤労育成思想を解明するため、バーミンガム大学および市立図書館に収蔵の「ワット&ボウルトン関係文書」を収集・調査、さらに大英図書館で関係資料を収集・調査するため、英国に約3週間滞在し、研修を行った。その結果、マシュー・ボウルトンがジェイムズ・ワットとの協力体制によって設立した「ソーホー・マニュファクトリー」やジョサイア・ウェッジウッドの陶器工場において、近代的労働者の育成と雇用が図られていた実態を解明することができた。そこでは、資本家対労働者という階級区分は明確でなく、経営者自身が独立生産者として労働者と連携して生産活動に従事する、労使協調体制が採用されている事実が判明した。この側面は、本研究の目的にとって重要であり、今後さらに詳しく、この実態を調査し分析する必要がある。なお、こうした研究の一環として、「バーナード・マンデヴィルの啓蒙思想」に関する論文を発表し、日本の近代化の問題を「明治啓蒙における経済思想」としてまとめ、学会報告および共著出版として公表した。
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