本研究の目的は、日本近世の紙幣のデザインをとおして、この時代特有の貨幣観・貨幣概念を明らかにすることである。本研究では、それらの券面に印刷された文字情報と図像情報を対象とする。 文字情報のなかでも詩文類はとくに重要である。なぜなら図像とともに、そこには発行者がもつ貨幣観などが反映されている可能性があるからである。しかし、先行研究では篆書体の解読が困難であるため未検討である。そこで本研究ではその解読を試みた。例えば館林藩が1849年に発行した紙幣には、「山高日昇萬福是膺(山高くして日昇る是れ萬福膺す)」(『大唐中興頌』)と、「不患寡而患不均、不患貧而患不安、蓋均無貧、和無寡、安無傾(国を有ち家を有つ者は寡なきを患えずして均しからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患うと。蓋し均しければ貧しきことなく、和すれば寡なきことなく、安ければ傾くこと無し)」(『論語』)という中国古典の一節が引用されている。 また、こうした藩札のデザインを支えた銀札師などの職人に関する調査をおこなった。たとえば、『浪華買物独案内(天保3)』によると、当時の大坂には「御銀札版木」・「銀札印判」・「御蔵屋敷御銀札」の製造を謳った職人たちがいたことがわかる。いずれも金石印の製造販売や、朱肉の販売などの兼営していた。彼らの中には印判と吉凶を結びつける民間信仰も見出すことができた。紙幣製造に携わった職人たちの基礎条件についてもある程度解明することができた。 諸機関に所蔵されている古紙幣コレクションの調査・整理もおこなった。 まず人間文化研究機構国文学研究資料館に所蔵されている古紙幣について、摂津国発行分を撮影した。当国を選んだ理由は、当国では藩札だけでなく、私札類も寺社札や町村札など多様な紙幣が発行されていたからである。並行して、今後の調査に活用するため、下関市立長府博物館所蔵の古紙幣の整理にも着手した。
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