<重度知的障害者>をいかに承認しうるかという問いは、連帯規範の人間概念に<重度知的障害者>をどのように包摂しうるのか、という問いと同義であるが、現代の福祉国家を哲学的次元において基礎づけてきたリベラリズムの正義では、人間概念の核に自律性を置くが故に、そもそも<自律性なき者>(と評価された者)の存在は、その理論的射程に含まれてこなかった。本研究では、先ず、リベラリズムの人間概念に異議を唱えた幾つかの倫理的思考を検討しながら、<重度知的障害者>の承認問題におけるそれらの可能性を考察し、次に、<重度知的障害者>も含め、あらゆる人間存在を包摂し、かつ、万人が自明と認めうる普遍的な人間的属性としてvulnerabilityを提起しつつ、この人間的属性から連帯規範を立ち上げることの可能性について検討した。 さらに、「何」を平等に分配することが<重度知的障害者>をも包摂した連帯規範に適うことなのかという問いを検討するために、リベラリズムにおける連帯の規範理論を代表するジョン・ロールズの『正義論』とアマルティア・センの潜在能力アプローチについて検討を加え、これらの規範理論が<重度知的障害者>の理論的・実践的包摂において課題を抱えていることを指摘した。そのうえで、vulnerabilityという人間属性から演繹される基本財としてのケアに着目し、「ケアの平等分配」が何を意味しているのか、さらにその実現可能性をどのように描けるのかを検討した。
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