戦時期のブラジル、アメリカ、アジア(台湾・韓国)では、日系人・日本人社会において、表だった行事や教育カリキュラムとして日本的教育文化泯動を行うことは、大変困難であったが、家庭教育・課外学習の領域では、お稽古やしつけなどを通して日本的文化の伝搬がなされていた。また、日系人・日本人社会では、日本語の学習を日本文化の継承と同等に見なしていた。そのことが、現地の人々と日系人社会との間に度々摩擦や誤解を生じる要因ともなり、日系人の文化伝搬に対する弾圧にもなった。その一方で、宗教的慣習については、日系人社会は、むしろ現地社会への融合の手段と見なし、積極敵に受容しようとする姿勢も見られた。また、高学歴の取得も社会融合の一助として把握されていたことが分かった。
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