研究概要 |
19世紀の後半、パリ外国宣教会から派遣された宣教師が、来日しとくに長崎県に布教しつつ多くの教会堂建築を建立した事実と、さらに西洋建築史にかんする知見から同時代パリに建設された教会堂と長崎の教会同群にはときにきわめて強い様式的類似性があるという観察から、19世紀後半のとくにパリでの教会堂が宣教師をとおして長崎に影響をあたえた可能性を明らかにするするという研究目標を設定した。 H24年度フレノ神父(Pierre-Theodre Fraineau,1847-1911)について、パリ外国宣教会本部、同図書館、フランス美術図書館にてアーカイブ調査を市、彼らの出生地における司教館を訪問して、インタビューや資料収集をおこなった。アーカイブについては、20世紀初頭に編集されたネクロロジー(死亡報告書)、各宣教師がパリ外国宣教会本部にあてた手紙の形式の報告書、が残されており、そこからえられた布教活動の分析をおこなった。 以上から総合して、19世紀後半パリの教会堂建築と、長崎の教会堂とは、いくつかの様式的類似性は指摘できるが、直接の因果関係、影響関係は様式判定を越える結果はでなかった。しかしH22年度に調査したマルマン神父について再検討するなかで、布教中の一時期、香港のカトリック教会堂付属療養施設で療養していた事実をつきとめ、調査した結果、その礼拝堂はそのごマルマン神父が建設した黒島教会に酷似しているから、彼に影響をあたえたと判断して妥当であると考えた。長崎の教会堂デザインの1源泉が解明できたと考える。
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